火曜以降のことについて記そう。まず、火曜は過労からくる発熱のため仕事をキャンセル。病院へ薬を貰いに行ったのは実に3年半ぶりだった。昼から夕方にかけてベッドで体を横たえるのも悪くない。慢性的な肩凝りからきていた、奥歯の痛みも解消したようだ。完全復活した水曜日は、仕事が終わった後に早稲田文学部交差点前のステーキ店『Night Birds』にて夕食。「放牧牛ロースステーキ150gセット」(\1,348)を平らげる(写真)。肉はオーストラリア産で、ニンニクと一緒に煮込んだトマトのガーリックソースと一緒にミディアムで頂いた。ハウスワインも、デキャンタ小で520円だったので頼んでもよかったが、この後に講義が入っていたため断念。食事をしながら、芸能関係の仕事をしている友人の紹介で知り合ったタレントのIさんとメール。新年用ポスターのスチール撮影で大忙しだったようだ。芝居でいくかバラエティーに力をいれるか、今後の方向性で悩んでいるという。年明けに機会があったら、食事をしながら対面鑑定でもという話になった。デビューからかなりの時間を経て、ようやくいい仕事に恵まれてきたようだ。一生懸命に生きている人間を、天は決して見捨てることはない。子供と大人の狭間で揺れながらも、凛とした生き方を忘れない女性たちを、私はこれからも陰ながら応援したい。木曜は中村生雄先生の『神話の世界』を受講するため、32号館128教室へ。椅子に座ると、机の上に何やら不穏なビラが。文学部キャンパスの前にある『早稲田奉仕園』で、過激派が「早大改革の虚妄と腐敗」と題して集会を行うようだ。2年前に起きた「ビラ撒き逮捕事件」を、あたかも権力と戦った勲章かの如く喧伝する態度には辟易する。国内で内乱を起こして政権を暴力で転覆させようと企てているテロリストを、警察が逮捕して何が問題だというのだろうか。血税から多額の私学助成金を貰っている以上、『大学自治』などという言葉は存在しないのだ。彼らは、学費をきちんとバイトなどの収入で独力で納めているのだろうか。もし親に払ってもらっているのなら、とんでもない親不孝者だ。これ以上早稲田を食い物にするのなら、大学を愛する一般学生も黙ってはいないだろう。今週、葛飾で共産党のビラをマンションに撒いた住職が実刑判決を受けたが、あんなものは「表現の自由の侵害」でも「言論弾圧」でもなんでもない。“あの世”での極楽往生を説くべき僧侶が、実存主義に迷妄する馬鹿な左翼に共鳴するとは笑止千万。この荒川庸生という僧侶には、“仏心”などないのだろう。高い知性を備え、人の上に立って指導すべき人間に“子供”が多いというのは、非常に悩ましい時代だ。それだけ、戦後にGHQが施した“占領教育”がまずまずの成果を挙げているということだろう。だが、朝の来ない夜はない。平成20年は、あらゆる意味で“焼け野原”の一年になるだろう。昭和20年が、日本にとっての“リセット”であったように。予言の詳細は、来年の元旦にこのブログで発表する。 金曜は18時より、大久保孝治教授の『社会と文化』の授業。今回は小津安二郎監督の名作『一人息子』(昭和11年)を鑑賞した。大正13年、信州の貧しい母子家庭。級長(学級委員)を務める秀才の息子は、中学に進学したい希望を持っていたが、それを母に打ち明けられない。しかし、笠智衆演じる担任の大久保先生の推薦を受けて、母親は家と田畑を売る決断する。「お前は中学へ行け。母ちゃん、どんなにお金がかかってもいい。家のことなんか考えないでいい。偉くなれ。そうすれば、死んだ父ちゃんも喜ぶさ」ー母親の温かい言葉に、思わず目頭が熱くなる。その後は、母の働く紡績工場のシーンが。あの『ああ野麦峠』は、現実にあった壮絶な人間のドラマであった(内容については、4年前に書いた随筆「美しき日本の女性たちへ」を参照)。前回の講義でもあったが、日本は伝統的に“子供”を大事にしてきた国家だ。“親”が与えてくれた“愛”をしっかり理解している子供は、自分が成長したら必ずそれを親へ、そして社会へ返そうとする。その試みの過程を、「大人になる」と呼ぶ。本当の意味で“大人”になった社会の担い手が、もっと増えてくれることを期待してやまない。 フランスの宗教家・ラムネの教戒を引こう。 「君はいま、自分の生き方を自分で決める時期に差し掛かっている。 この時期を逃すと、君は自分で掘った墓に放りこまれて、 上に乗せられた石を押しのけることもできず、 終生苦しみに呻き続けるはめになってしまうかもしれない。 意志を持って生きるというのは、我々には一番身につけやすい習慣だ。 だから、強く確固たる意志を持つよう努力しなさい。 根無し草のような生活はこれくらいにして、地に足をつけて歩きなさい。 枯葉のように風まかせにここかしこと彷徨う生活は、きっぱりと捨て去るのです」 社会は、厳しい。それは魂を鍛える修行の場であるからだ。 人生は、短い。夢を取り逃して拗ねていたら、あっという間に歳を取る。 自分の人生に責任を持ってこそ、“大人”。 社会できちんとした役割を担ってこそ、“人間”。 光り輝く生涯を希望するならば、その二本足をしかと地につけて歩け。 |
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【道新社説】ドサクサまぎれに極左どころかオウムまで「無罪」(呆)
12月14日付北海道新聞社説 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/65806.html?_nva=26 ビラ配り有罪 寛容さ欠くと息苦しい(12月14日) 政党ビラを配るためマンションの廊下に立ち入った僧侶に対して、東京高裁が刑法の住居侵入の罪で罰金の有罪判決を言い渡した。 公判では「表現の自由」と「住居の平穏」のどちらを重視するかが争われた。 判決は住民の許可を受けないで立ち入った行為を処罰しても、表現の自由に反しないと判断した。一審の... ...続きを見る |
サラリーマンやってる猫の一匹集会所 2007/12/17 21:55 |
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