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zoom RSS 理想を掲げて“勇往邁進”すること・・・それこそが栄冠を得る最強の秘訣

<<   作成日時 : 2008/01/30 21:15   >>

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画像お陰様で、大学の試験も全て終了した。これでまた、平日の夜は個人的な研究作業に時間を充てることができる。なんだか、大学の講義が勉強の隘路になっているかのような書き方をしてしまったが、やはり私は早稲田大学に“学び”に来ているのである。2年生の1年間を振り返ると、スポーツや学園祭といったイベントだけでなく、講義でも新しい知識や友人と出逢ったりと、大変有意義な時間であった。人生のこの時期に、この大学に入学したからこそ、縁あって知り合えたそれらの“出来事”。それは皆、私という今世の“魂”に必要なプログラムであったのだろう。さて、3年生になる今年は、どんな出来事が私の前に屹立するだろうか。



昨夜は仕事が終わった後、大学付近をぶらり。都電荒川線の早稲田駅を越えて、久しぶりに神田川の方へ行った。春になると、この川沿いの桜の木々たちが、眩いばかりの色をつける。それはあたかも、受験の難関をくぐり抜け、晴れて早大生となった新入生を祝福するかのようだ。大学の方は今年度のカレンダーによれば2月6日まで開いているという。それから後は、一般入試のために全面閉鎖。受験生の諸君にとっては、予備校の直前講習も終わり最後のラストスパートの時期であろう。もし、息抜きでこのブログを読んでくれている人がいたら、ちょっと最後までお付き合い頂ければ嬉しい。


毎年この季節になると、ついつい書庫からある一冊の本を手にとってしまう。タイトルは、『早稲田へのラブレター』(ライオン社)。かつて早大合格をめざす受験生向けに、『早稲田進学』という季刊雑誌が出版されていた。その読者投稿欄に掲載された、早大合格に青春を賭けた受験生の声をまとめたのがこの本である。既に絶版になっていると聞いたが、早稲田を愛してやまない受験生には、ぜひ一度は目を通してもらいたい一冊だ。


この本の初版が出た平成7年は、私が浪人をしていた年だった。『早慶』と冠のついたテキストや参考書を持ち歩いてはいたが、夏を過ぎた頃には予備校の休憩室で受験仲間とお喋りに興じ、熾烈な受験競争を回避してしまっている自分がいた。そんなある日、書店の受験本コーナーで見掛けたのがこの本である。最初のページを開くと、当時の早稲田大学総長・奥島孝康氏の「私は、諸君の入学を心から期待いたしております。どうか健康に十分気をつけて、しっかり勉強してください。来年は、同じワセダニアンとして肩を組み、「都の西北」を大声で歌うことを楽しみにしております」というメッセージが。検討の余地もなく、本能の赴くままにレジへその本を持っていった。


予備校へ戻り、夢中でページをめくる。平成元年から7年にかけて早大に挑んだ受験生たちの、それぞれの人生模様が描かれていた。3浪でも、まだ早稲田を諦めきれない女性。小宮山悟の後を追って、早大野球部でプレーしたいと夢を語る男性。別の大学で仮面浪人を続ける人。たった1点足りなかったがために不合格になり、不本意なまま受験生活を引退した人・・・自分も受験生活を完遂しなければと、大きな発奮材料になったものだ。そんな中、この本を読み返すたびに、いつも目頭が熱くなる投稿がある。それを引かせてもらおう。


私は今春、現役で悲願の早稲田政経、法、商学部に合格することができました。
しかし、今から思えば、私の受験生活にはさまざまな不安と障害がありました。

私が早稲田を意識し始めたのは中学1年の時、新聞記者になるために早稲田の政経をめざす友人に影響されてからでした。この時から、私の早稲田合格への挑戦は始まりました。

まず、私の地元は国公立志向の強い関西で、親を説得するのもひと苦労。その上入学した高校は評判とは裏腹に、大学の合格実績が良くなかったのです。

私はこんな状況に巻き込まれないように、1年の時から予備校通いを始めました。そして予備校で刺激を受けた私の成績はみるみる上がっていったのです。

しかし、そんな高校2年の秋のことでした。折からの不況で父は会社を退職、母は入院。

父は私に国公立大学へ志望を変えるよう頼み、一方で私は、新聞配達をしてでも早稲田を受験しようと決心しました。勉強と家事の両立、解消されない経済的悩み。成績は下がり、模試の結果も低迷続き。私は初めてスランプを味わいました。

そんな中で迎えた受験の天王山、高校3年の夏休み。私は予備校の自習室に毎日通い、1日10時間以上勉強しました。

夏休みの地道な努力が実を結び、その成果が表れはじめた2学期の初め、父の再就職が決まり、母も退院しました。実戦模試では、成績優秀者欄に自分の名前を見ることもしばしばとなりました。

しかし、自信を取り戻した私に、不幸は再び襲ってきました。母の病気が肝臓ガンであることがわかったのです。しかも、一番危険な時期が、私が受験のため大阪を離れている頃だったのです。私の不安を察したかのように、父は私にこう言いました。「万一のことがあっても最後まで受けてこい。絶対に大阪には帰ってくるな」。


私は、もう勉強も手につかなくなりました。そして、ただただこう祈ったのです。


━合格発表の時までなんとか生きていてくれ━


そんな私の思いをよそに、1月29日、母は他界しました。くよくよ悲しんでいる暇はないとわかっていても、ショックからは立ち直れませんでした。3週間後、悲しみや不安をひきづったまま、3年間にわたる私の受験勉強は本番へと突入していったのです。


運よく慶応の経済や商学部、早稲田の政経や法、商学部に合格できました。受験の結果には大変満足しています。でも、その喜びを伝える母は、もういないのです。


『早稲田進学』では親は“悪役”の場合が多いですが、来年受験する皆さんは、両親を大切にして、早稲田合格という栄冠をぜひ、勝ち取ってください。(H.O)




H.O先輩は今、幸福な人生を送ることはできているだろうか。



大正10年の冬、死の床にあった大隈重信侯は、枕頭に早大名誉学長・高田早苗を呼び、大学の前途を託してこう言ったという。



“何事も前に理想を掲げて 勇往邁進するのでなければ成就せぬ”



間もなく、早稲田の一般入試である。


全国から秀才たちが、今年も都の西北を目指して東京に集まってくる。


この一年間、おそらく短い人生の中で最大の努力をしてきただろう。


誰にも見せない涙を、流した夜だってあっただろう。


栄冠まで、あと僅かである。


4月には大隈講堂の下で、共に酒を酌み交わしながら青春の勝利でも祝おう。



受験生諸君、最後まで頑張れ。



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
トラックバック、ありがとうございます。
1月30日の文章読ませていただきました。とても感動しました。まだ受験まであと1年ありますが全力で頑張ろうと思います!
ねね
2008/02/16 23:44
ねね様、コメントありがとうございます。

受験頑張ってください。陰ながら応援しております。

来年の合格の際は、大隈講堂の前でお祝い致しましょう。

受験の成功を心より祈念しております。

八田修一
2008/02/18 19:39

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