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zoom RSS 小論ー夏目漱石『こころ』を実存主義で読む

<<   作成日時 : 2008/01/11 20:20   >>

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画像明治43年にいわゆる「修善寺の大患」に見舞われた著者は、臨死体験の経験者の多くに見られるように、作家として常に「生と死」をテーマに求道を続けた。一般に後期三部作と呼ばれる『彼岸過迄』『行人』『こころ』は、どれも“己の余命を意識する”という無意識の意識と相対しながら、作家としての使命感が創出させたものといって良い。“自己凝縮”を代表的な民族性としてきた江戸時代の終焉の年に生まれた漱石は、“自己拡散”の嵐が吹き荒れた明治時代の終焉に際し、乃木大将の殉死と“先生”の自殺を「明治の精神」という言葉で美化している。江戸を知らず、急激な欧米化に酔いしれる“近代”の日本人たちへ、強烈なテーマを提示したのであった。


大学生の“私”(主人公)は、鎌倉の海水浴場で“先生”と出逢う。それから月に2,3度先生の家を訪ねる間柄になるが、先生が実に謎に満ちた人物であることに気付く。雑司が谷にある友人の墓に必ず墓参りすること、美人の奥さんと、なんとも言えない溝があること。知性と教養に溢れているにも関わらず、「私のようなものが世間に出て、口を利いては済まない」と述べたこと。やがて、私の父が病気になり帰郷。再び上京すると、「今のうちに財産を分けた方がいい」と先生にアドバイスされる。秋に再び帰郷すると、父は危篤に陥る。明治天皇が崩御し、乃木大将殉死の報が日本中を覆っていたころ、東京の先生から分厚い手紙が届く。それには、自殺を決意した先生の過去が綴られていた。自分が両親を亡くした後、叔父に財産を騙し取られ、軍人の未亡人宅に下宿し学生生活を送ったこと。その下宿先に、美しいお嬢さんがいたこと。同じ大学の親友“K”を下宿に連れてきたこと。やがて“K”がお嬢さんと懇ろになり、かねてからお嬢さんを慕っていた先生は“K”を出し抜いてお嬢さんの母親に結婚の約束を取り付けたこと。そして、そのことを苦に“K”が自殺したこと・・・。その日から先生は自らの卑怯な行いに苦しみ、乃木大将が若き日に敵軍に旗を奪われた辱めを35年もの間背負ったあげく殉死した事実を見て、遂に自裁を決行するに至った、と。これを記すことで、漱石はいったい我々に何を問おうとしていたのだろうか。


 以前、演習の時間に、ある早大生が「則天去私=自己本位の系譜」と題して発表を行ったのを聞いたが、その中で大正三年に漱石が学習院にて行った「私の個人主義」の講演の模様が描かれていた。自己本位とは決してナショナリズムではなく、大正という新しい時代の始まりに立ち会った人間の一人として、国家への“奉公”に盲目的になるのではなく、今こそ“独立した一個の日本人としてアイデンティティを確立せよ”という漱石の主張は、まさに歴史の転換点でその思考回路の点検を迫られる知識人の苦悩が感じられる。その学生は「則天去私=自己本位」イコール「超人」(ニーチェ)説をここで発表した。漱石は、ニーチェを読んでいたという。超人思想とは反社会的思想、イコール現実逃避のこと。無私の境地に到達したという事実は、結局のところ社会との緊密なコミュニケーションを拒否し、夢想の中に閉じこもるという決意の表れとも見えなくもない。江藤淳はそれを「彼が平和に暮らすことのできる楽園があるとすれば、それは自分が存在しないように存在するという奇怪至極な世界以外にはない」と喝破したが、左派的発想に歩を進めようとしながらも、己の中にある「旧体制」(アンシャン・レジーム)も尊重しているという苦悩の中で創作されたのが「こころ」という傑作であったといえよう。今回は、実存主義の観点から「こころ」を読み込んでみたい。


実存主義とは、「人間は無の中に投げ込まれた存在であるが、不安を超克し、自己の存在のあり方を自由に選択しながら自己形成をしてゆく」という考え方である。日本では60年安保、70年安保闘争の際にその思想的支柱として崇拝された。これには二大潮流があり、それはサルトルとカミュに代表される。20世紀最大の思想家・サルトル(1905〜80)は積極的な社会参加、政治参加(アンガージュマン)を奨励したが、カミュ(1913〜60)はあくまで人間の持つ内面的な実存を文学的に追求した。喩えると、カミュ的立場で時代の激動期を冷静に俯瞰していたのが漱石であった。戦後日本で例を挙げれば、小田実や野間宏、大江健三郎がサルトルと同じ立場と言えようか。カミュ的な立場で文学という武器を使ってささやかな“革命”を試みた思いが端的に読み取れる部分を、本文中から探してみたい。


“私”は先生の奥さんが「人間は親友を一人亡くした丈で、そんなに変化できるものではありません」と疑問を投げかけているが、漱石が描きたかったのは友情を裏切り、女への愛を取った男の良心の呵責を描きたっただけではないと見る。先生の人生に暗い影を落としているのは、奥さんとKとの三角関係だけではなく、叔父による財産の横領である。漱石は先生の現在の生活が莫大な実家の遺産によって成り立っていること、またそれに他対して非常に大きな執着心を持っていることを淡々と描くことで、読者に先生のベールに包まれた謎を大きく増幅させる仕掛けをしている。かつて「虞美人草」という作品の中では、財産を放棄することを高度の精神であると漱石は描いていた。ここに漱石の実存主義、左翼思想へのほのかな傾倒の萌芽を感じ取ることもできるのだが、この「こころ」に至って漱石は、「財産の横領」という“資本主義万能体制下での典型的な経済犯罪”を物語の事実上の中核に据えた。老獪な“大人”である叔父の策謀に対して、まだ“子供”であった先生はなす術もなかった。ここに、自分の力で掴み取ったものではないにも関わらず、ブルジョアの生活を送る日本の指導層への嫌悪を私は感じずにはいられない。政府が決定した文学博士号を漱石が固辞したのも、そういった風潮や体制へのささやかな抵抗であったと言ってよいだろう。


そしてここでもうひとつ、「こころを実存主義で読む」という立場から、私なりの説を立てたい。それは、先生=奥浩平という論である。奥浩平(1943〜65)は、『青春の墓標』を著した中核派の学生運動家。恋人であった早大生・中原素子は敵対党派である革マル派に属していた。思想と恋愛の間で煩悶した彼は、プロバリン300錠を服用し自殺を選ぶ。「ああ、生きることはかくも厳しく闘うことなのか。かくも激しく分断されることなのか。それゆえの確かさよ」と遺書にしたためて。この作品における“奥さん”は、この場合中原素子に例えたい。Kとの友情は、奥が追い求めた革命思想である。そして財産は、それなしでは生活ができないからもうひとつの“愛”と言えようか。奥浩平も先生も、恋愛と理想の狭間で苦しんだ。「大人」になることができれば、それはいとも容易く飛び越えた人生の試練だったのかもしれない。しかし、先生も奥も、ついには大人にはなりきれなかった。“倫理”や“道徳心”の檻の中で戦い、そして自ら死を選んでしまった。先生は乃木大将の自裁を契機に自らの“あやまちを”清算するという姿勢で死を選んだが、奥は「のたうちまわって」死を選んだという意味では異なる部分があるかもしれない。お互いに明治から大正、そして戦時から戦後と、自由と独立と己とに充ちた時代を謳歌し、ソリチュード(孤独)に耐えることが必要だと頭では理解していながら、遂に“この世”で光を見出すことはできなかった。


新潮文庫の288ページ、三好行雄は『こころ』についてこう書いている。


恋愛は神聖だけれども罪悪だという先生は、同時に〈自由と独立と己とに充ちた現代〉を生きる代償として、ひとは孤独と寂寞に耐えねばならぬことを見抜いている


革命家も恋愛をする。そのために、命を投げ出してしまう。現代は保守党が国会に300議席を持つ超資本主義社会だ。その時代に、自殺者は年に3万人。自殺というのは最大のエゴであるが、エゴイズムの時代は本当に幸福な時代なのであろうか?いまもし漱石が生きていたら、ぜひ意見を聞いてみたかった。(了)

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