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zoom RSS 誰もが“生きる理由”を見失う時代に・・・「自己を超えた精神と対話」を心掛けたい

<<   作成日時 : 2008/10/21 23:26   >>

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画像今日は大学が、創立記念日のため休講であった。聞けば昨日は、麻生太郎首相が早稲田に来ていたらしい。大学近くのスーパーを視察し、高田馬場付近を流しているタクシーの運ちゃんたちと景気について語り合ったそうだ。もし出くわしていたら、整理記者の分際で突撃取材でもして、勝手に記事でも書いたかもしれない。そんなことはどうでもいいとして、今夜は久々に銀座へ行った。その話でもしよう。



神保町の寿司屋で腹ごしらえをした後、半蔵門線と丸の内線で銀座駅へ。地下鉄b3を抜け、『アルマーニ銀座タワー』に到着。4階で開かれている、『痛ましき十代 石原慎太郎十代作品展』に足を運ぶ(写真)。ジョルジオ・アルマーニと慎太郎の、個人的な交友から企画された展覧会のようだ。画像右に見えるのは、慎太郎作『十六歳の自画像』。一目見ただけで、作者の陰鬱な心情が伝わってくる作品だ。仮面にはビスが打ち付けられ、容易に外せないようになっている。首筋には、明らかに血と思われる液体が。当時は登校拒否に陥り、自宅でやり場のない青春を過ごしていたようだ。どんな作品と対峙できるのかを楽しみにしつつ、館内に入った。



入口をくぐる。今回展示された70点あまりの絵画群は、殆どが16歳の時に制作されたものだという。『書けない詩人』と題された作品が目に入った。椅子に座った人間の顔の部分には枯れた花が挿され、その指には釘が打たれている。机の上には、ペンと白い紙。天性の芸術家は10代にして、既に「書けなくなる恐怖」を悟っていたのだろうか。そのすぐ隣には、彼が当時書いたと思われる「建設期」という詩が、黒に覆われた壁一面に白抜きで記されていた。



「建設期」



一体?
これが歴史の明け方か
俺にはみんな睡って見える


ともかくも とり壊そう
そしと仲間の眼をさまそう


風だ

新しい風だ


廃墟を埋める
砂嵐だ



慎太郎16歳といえば、昭和23年頃である。前年に日本国憲法が施行され、『極東軍事裁判』で広田弘毅らA級戦犯の絞首刑が執行された年だ。この詩を読んで、早稲田の文学部で1年生時分に受けた、多岐祐介先生の『小説論』の講義を思い出した。多岐先生が慎太郎を取り上げたとき、一般に右翼や国粋主義者のイメージで語られる慎太郎について、「いいかい、石原にせよ野坂(昭如)にせよ、あの頃(昭和一桁)に生まれた人間っていうのは、みんな“戦争反対”なんだよ」という、“雷鳴の如き”解説を行ったのだ。“あの戦争”を経験している人間は、口に出さなくたって戦争の酷さを知っている。その事実を前にしたら、右も左も関係ない、と。あまりにも本質を突いた解説に、早稲田で文学を学ぶことの凄さを思い知らされたのだった。慎太郎本人は当時を『戦争に負けて、何もなかった。お前、よく耐えたなぁ。よく人を殺めずに済んだなぁ』と、かつての自分に語りかけるように述懐している。本人は、この展覧会のタイトルを本当は『人を殺しかねない十代』にしたかったそうだ。その激しい情動が、秋葉原の加藤智大のように見知らぬ他人ではなく、カンバスに向かったのは幸いだったというべきだろう。   
     


この展覧会を記念して企画された雑誌のインタビューによれば、『貧乏じゃなかったら発想力なんて出てこない。物の枯渇が逆に豊富なものを生む。だから感性が研ぎ澄まされた』と言う慎太郎。父の突然の死で家長になり、母と弟・裕次郎と三人で練炭火鉢のこたつに身を寄せあい、目減りしてゆく貯金の残高に不安を覚えた日々。父の死に際しては、家計を助けるために志望していた東大の文学部を諦め、会計士の資格をとるため一橋大学に進むという進路の変更を余儀なくされた。後に国会議員になった時、宮沢喜一に『君は大学はどこだね』と聞かれ、『一橋です』と答えたら、ぷぃと顔を向けられ去られたという話がある。『東大卒以外は人間ではない』という、宮沢の非人間性を端的に表す有名なエピソードである。いまは天下の東京都知事を務める男にも、そういう屈辱に満ちた時代があったのだ。   



慎太郎によれば、人生で最良の季節といえる青春時代を正統な青春たらしめるには、不可欠な三条件があったという。それは第一に戦争、第二に貧困、そして最後は、「命がけでぶつかりたくなる偉大な思想」である、と。 最近はネットカフェ難民への叱咤激励ともいうべき発言で、湯浅誠率いる『反貧困ネットワーク』連から激烈な罵声を浴びせられている慎太郎だが、そこには『お前たちは兵隊にもとられず、食う物も溢れているのに、何が不満なんだ。甘ったれるな』という戦中派の思いがあるのだろう。フリーターの諸君には厳しいことを言うが、就職氷河期を生きた私も、慎太郎の意見にほぼ同感である。特にこのブログでは書かなかったが、普段は偉そうなことを書いている私も実は失業期間があり、ペットボトル工場で日雇いも経験した。『俺の人生にはもう、浮上はないのかな』などと、世間を恨んでもみた。しかし、そこからなんとか這い上がって『お陰様の現在』がある。みんな『こんな時代を選んで生まれてきた』のだから、それはやはり『究極の自己責任』である。全てを『他人のせい』にするなら誰でもできる。ならば、『どん底から這い上がること』だって、やはり誰にでも可能であると言いたい。「生きさせろ」とデモに参加したところで、いつの間にか“タチの悪い左”に引き摺られ、結局は過激派に利用されて人生を棒に振るのが関の山だ。幼稚な魂が社会に溢れている。“普通の幸福”が本当に欲しいのなら、力をじっくりと蓄えて再起を期するのが“大人”の生き方ではないか。



敬愛する美輪明宏氏と慎太郎は、お互いが深く関わった三島由紀夫の自決以来、不倶戴天の敵である。しかし、その作品に罪はない。私は両氏の作品をどちらも好む。なぜなら、彼等の創る作品には、嫌いな相手への怨念が込められていない。ただそこにあるのは、『人間という生き物への限りない愛の眼差し』だからである。二人が今世で和解することはないだろうが、両者が“身を削って創った芸術”には、これからも親しんでゆくだろう。慎太郎は、骨の髄まで『芸術家』であって『政治家』ではない。文学で政治をやろうとしたが、旨くいったとは言い難いというのが衆目の一致するところだろう。間もなく彼は、政治から身を退いて芸術に専念するはずだ。展覧会の最後に掲示してあったのは、慶應義塾のロゴが入ったセーターを着た弟・裕次郎と一緒に撮った写真。戦後の大衆文化を担ったふたりの巨人が、少年の姿でこちらに微笑みかけてくる。同じ親の許を選び、辛い青春も励ましあって生きた“盟友”の、心通い合う温かい一枚であった。




慎太郎や江藤淳と並び、日本最高の知性と謳われた小林秀雄(1902〜83)の言葉を思い出した。



自己を語ることは容易である。自己を超えた精神と対話が始まらなければ、


生きる理由には至れない






自分のことしか考えられない、粗雑な魂が溢れてしまっている現代である。



いま一度、“自分がこの世に生まれてきた理由”を、真摯に考えてみてほしい。




西銀座通りを抜けて、風が気持ちいいので東京駅まで歩いて帰った。



楽しそうに笑う顔と、多くすれ違った。



あの人は、本当に心の底から、愉快な気持ちで笑える生活を送れているだろうか。




今年も残り、僅か70日。



それぞれの魂に、生きる気力が宿るよう、祈りを続けます。



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